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座間市(ざまし)は、神奈川県のほぼ中央に位置する市である。 東京都心から約40km、横浜から約20kmの場所に位置する。
古代以来の律令国郡制において相模国高座郡に属した。古東海道が通り、宿駅「いさま」の駅があった。これが地名「座間」の発祥とされている。昔より八王子街道(平塚宿を起点に田村で中原街道と交差し、厚木、海老名、座間、相模原を経て八王子に通じる)の宿場町として栄えることにより集落が形成され、現代に入り戦前は農村、戦中は陸軍士官学校及び高座海軍工廠の設置により軍都としての色合いを強めた。しかし戦後は米軍の進駐を経て、昭和30年代半ば頃からは大企業の誘致が行われ自動車産業中心とした企業城下町が形成された。更に昭和40年代の急激な人口の増加により農村から工業及び住宅都市へと変貌を遂げ、現在では県下33市町村中4位の人口密度をもつ市町村となる。
しかし、バブル景気崩壊後、市の基幹産業である自動車産業も不景気の煽りで日産自動車工場などが撤退したことから、税収入の低下を招き、市の財政状況が悪化した。現在でも周辺近隣自治体と比較すると財政的には劣っており回復は厳しいものの、人口においては県下でも比較的高い水準で増加しており、隣接する相模原市、大和市などと同様のベッドタウンとして現在に至っている。
県下では数少ない上水道に地下水(市内の8つの水源井)を用いる自治体であり、井戸水の特徴である夏は冷たく冬は暖かい「座間の地下水」は知れ渡るようになってきた。しかしながら近年の人口増加及び地下水資源の減少等により県営水道を約15%含有する状況になっている。
2000年代に入り在日米軍の再編等に伴う米国陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間移転問題が浮上し、これに反対する活動を行政でも行っていたが、2008年(平成20年)8月に防衛省との間で「米陸軍第一軍団新司令部のキャンプ座間移転に伴う基地対策に関する確認書」に市長が署名し移転容認へと転じた。
地理 [編集]
市域を南北に縦断するJR東日本相模線の東側に沿って伸びる崖を境に、西部・相模川沿いの沖積低地と、東部の相模野台地(相模原台地)に属する高台に分かれる。相模野台地は過去の相模川の堆積作用によって作られた河岸段丘であるが、当市域内では上段の相模原面が大部分を占め、広大な平坦面が広がる。その中で、相模原市内を水源とする目久尻川とその支流が南流し、細長い谷戸を形成している。キャンプ座間付近から市域中央部で南北に連なる座間丘陵は相模原面よりも古い時代に形成された一段高い堆積面であり、氷河期以来の侵食による開析が進んでいる。座間丘陵の西側には相模原面よりも新しい低位段丘面(中津原面、陽原(みなはら)面)が南北に伸び、これに沿って相模原市から流入する鳩川以西が相模川沿いの沖積低地となり、水田が広がっている。
八王子街道沿いに形成された古くからの集落のうち、座間および入谷(座間入谷)は低位段丘上に、新田宿および四ッ谷は沖積低地内に形成された自然堤防上に分布する。目久尻川沿いの谷戸にも水田が開かれ、谷戸の周辺に栗原地区の旧集落が分布する。広大な相模野台地上は近世以前は「相模野」と呼ばれる原野であり、当市域周辺は「座間野」と呼ばれる近隣農村の入会地であった。江戸時代後期に座間野は相模川沿いの座間、入谷、新田宿、四ッ谷各村の飛び地となり、明治以降は生糸産業の発展に合わせて桑畑が広がるようになった。1930年代に移転・新設された軍事施設のうち、高座海軍工廠の跡地に日産自動車座間工場が誘致されると、これを中心とした工業地区が市域東部に形成された。台地上の桑畑は戦後の生糸産業の衰退とともに野菜の生産に重心が移ったが、1960年代にはベッドタウン化の波が及び、小田急線沿いの区域の宅地化が進行した。1970年代には相鉄線沿いにも波及し、南東部の栗原地区でも宅地化が進行した。この結果1990年代までには、中央部の栗原地区を除き、低位段丘面も含めた台地上のほぼ全域が市街地化されるに至っている。






